韓国ならではの多くの漢方を使い製法しているダイエット薬ブログ:03月14日
昔から母は病弱で入退院を繰り返していましたが、
元気な時はあたくしや姉貴に料理を教えてくれたり、
手作りのスナック菓子を作ってくれました。
学校から帰って、台所の出窓に、
すり鉢とすりこぎとザルが並べられているのを見つけると
心が躍ったものです。
なぜなら、
母の手作りのスナック菓子が用意されている合図だったから。
身体こそ弱かったものの、
好奇心旺盛で料理好きな母は、
あたくしや姉貴を料理教室に通わせ、
料理に必要な材料は全て揃えてくれました。
その頃は珍しいガスオーブンを使った料理を作り、
包装紙の裏にメニューやその日に使うお皿を箇条書きに書き並べて
楽しそうに料理をする母を見て、
あたくしもいつしか料理の世界に惹きこまれていきました。
母はあたくしが23歳の時に他界しましたが、
今でも私の偉大なる先生なのです。
あたくしがまだ小さい頃、我が家では、
毎年1月3日に父の会社の人たちが大勢集まり
会議を開くという恒例行事がありました。
家中に目標を書いた紙を貼って、
6時から父と会社の人たちはゴルフ大会。
その間、
母とあたくしと姉貴は、
人数分の料理の支度をするのです。
小学校低学年だったあたくしは、ホワイトソースを作る係。
薪をくべたストーブの上で
一生懸命ホワイトソース作りに専念したものでした。
家族の一員として責任ある仕事を任されたという気持ちで、
あたくしはその時間がとても好きでした。
そしてもう一つの楽しみは、
父からの一年間がんばったご褒美。
姉貴やお兄ちゃんにはお年玉、
まだ小さいあたくしには、ちょっと変わったご褒美が手渡されるのです。
「一年ありがとう」
そう言って父はあたくしに箱いっぱいの「冬苺」をくれました。
当時はめずらしい苺で、あたくしはそれが楽しみで仕方ありませんでした。